当社御朱印受付方式について
当社では当日仕上げが現在できない状況です。お参りされ、お預け頂き、SNSでお知らせ後、後日のお受取りか郵送という対応になります。
*お知らせとお願い
御朱印の受付は、当月分のみとさせていただきます。翌月分のご予約はお引き受けできません事をお知らせいたします。
(スマートレター、レターパックもご用意しております。ご活用くださいませ)
*お預かりの御朱印帳完成状況のお知らせ(11月21日更新)
・11月18日までにお預かりの白(普通)御朱印帳仕上りまし
た。
(インスタグラム)
https://www.instagram.com/tamayorin/
*お知らせ
御朱印受付方式のご協力のお願い
ただいま御朱印帳のお預かり分が非常に多く、朝から晩まで頑張っておりますが、当日仕上げが難しくなりました。
そこで御朱印はお預かりの上、後日郵送、或いはお受取りの形にさせていただきます。お預かりの順序に従い、順次仕上げて、出来次第、何日御預かり分完成しましたと、このHP、インスタ、ブログで告知いたします。郵送分は発送いたします。
何卒ご理解くださいますようお願い申し上げます。
下記のインスタやブログでもお知らせを入れたいと思いますので、お出かけの前にご確認くださいますようお願い申し上げます。
最新情報(対応できない日など)はインスタグラム、ブログで発信しております。
https://www.instagram.com/tamayorin/
ブログ(下のアドレス、どなたでもアクセスできます)
https://plaza.rakuten.co.jp/tamayorin/
ご確認の上、お許しください。
(由緒)
この羽黒山は元は瀬戸内の小さな小島でしたが、万治元年(1658)備中松山城主、水谷勝隆公が玉島の干拓を行う際、水谷家累代の氏神、出羽の羽黒山の出羽神社(現 出羽三山神社)の神霊を勧請し、開墾成就と土地の守り神として羽黒神社を建立されたものです。水谷公の前の赴任地茨城県下館には、今はそれぞれ名称が変わっておりますが、かつて七羽黒と言われた七社の羽黒神社がありました。
徳川時代、瀬戸内第一の商港として繁栄ぶりは、神社建て替えの際の玉垣に全国各地の寄進が見えることからもわかります。現在の本殿は嘉永四年(1851)、幣拝殿は安政元年(1854)に再建されたものです。建物、彫り物、瓦、灯篭など、当時の技術の粋が施されています。
平成30年春、日本遺産(荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~)の構成文化財に認定されました。
御祭神は、玉依姫命、素戔嗚尊、大国主命、事代主命です。
末社に、住吉、水谷神社、菅原神社、玉島を救った熊田恰公を祀る熊田神社、和霊神社などがあります。
また七福神が本殿周囲に祀られています。
(見どころ)
正月は年明け午前0時からの氏子青年たちの餅つきでにぎやかに明け、ぜんざいなどふるまわれます。
春先の七福神祭は、町の雛巡りイベントと合わせて行われ、福引が人気です。
春の住吉水谷神社例祭は、からす天狗仮装大会がにぎやかに行われます。
夏の菅原神社天神祭りは、青年団、高校生の担ぐ神輿が、玉島港から船渡御もし、境内でのイベントにぎやかです。
秋の羽黒神社例祭は、地元青年団たちの千歳楽がたくさん出ており、当社の神輿も春夏秋三基のうち一番大きく迫力です。
本殿東側に、「むすびの松」と呼ばれる枝が結ばれた松があります。縁結びにご利益があると評判で、新聞やテレビ、タウン情報誌などでも取材されました。
当社で結婚式を挙げられた時には、手作りのハートの絵馬をお渡しし、奉納いただいております。